第八十六話「懸けるもの」『お待たせしました! さあ、お次はBブロック決勝です!!』レフェリー兼アナウンスは、それぞれそのブロックの担当だった者が行う。 だからブロック決勝は一試合ごとに交代ということになる。 『まずはランキング九位、志野杜真琴! ランキング二位の祖父江博司の弟子だという噂を肯定するかのように同じような技で勝ち上がってきています!』 「噂って……ボク本人がずっと肯定してるのに」 『対しますは特別招待枠、葉渡雄介! 一回戦二回戦ともに関節技でギブアップを奪っての進出です!』 紹介される中、雄介は困っていた。 絶対にこの試合に勝てと言われて、無言の凄まじい圧力をかけられたわけで。 そのあたりは構わないのだが、この相手に勝てば本当にそれですべて丸く収まるのかどうかが判らない。 と、真琴が握手を求めて手を差し出してきた。 「紗矢香が強いって言ってたけど、ほんと?」 「どうかな。その辺は、語るのが難しいよ」 特に何かを仕掛けるわけでもない握手は、何の変哲もなく終わる。 正面から戦うのが好きな子なんだろうと、雄介は思う。 一応、何か仕掛けられる可能性は想定しておいたのだが。 『それではBブロック決勝……始め!!』 開始宣言とともに、歓声が大きくなった。 「まずは……!」 真琴は右脚を大きく深く踏み込むと同時に右腕を突き出した。 先制の一挙動の拳打。 単純な動きに見えながら、これが存外に速い。大抵の相手は虚を突かれてこの一撃で蹲る破目になる。 だが、触れたのは雄介の服だけだった。 雄介は、向かってきた拳の分だけをふわりと退いていた。 真琴はそのままの姿勢で静止する。 少し驚いたような表情だが、そのために止まったのではない。 これは強いと実感できた余韻を味わうためだ。 「ほんとだ……」 嬉しそうに笑う。 防いだ者もかわした者も数えだせば何人もいるが、今のは真琴にとって初めてのかわされ方だった。 徳教や官亮、晃人はその俊敏さでかわした。 芹や神住、和義は交差法をより早く当ててきた。 博司は避けようともしなかったが、そもそも効いてもいないようだった。 あとは、清水行彦に受けられて横に流されたこともある。 だが、このような動きは初めてだった。 「そうやっても避けられるもんなんだね」 「いや、これは普通の範疇のものだと思うよ」 雄介は少しだけ困ったように笑った。 「ああああ……攻められてばっかりじゃない……」 観客席。 紗矢香は気が気ではない様子だった。 それも無理ないところではあったろう。雄介はただ身を守るばかりで一度も攻撃に出ていない。 「でも、実力的には大丈夫っぽいわよ。今見せてるのがあの子の全力なのなら勝てると思う」 慰めるように言う翔子だが、不可解に思っているのは同じではあった。 真琴の攻勢はかなり強いものではあるが、割って入れないほどではない。 「女の子だから攻撃できない、なんてことはないはずだし……変ね……」 そのあたりのことにおいては、雄介は存外に容赦ない。 無論、手を出す必要がない限りは出さないし、それが許される相手であれば加減はするが、勝たねばならない戦いを相手が女性だからと言って手を抜きはしない。 「……む……?」 翔子は目を凝らした。 雄介と真琴が何か言葉を交わしているように見える。 と、すぐ隣でぶつぶつと呟く声がした。 紗矢香ではない。 それとは逆方向の隣だ。 「……ち、志野杜真琴め、何やってんだ……ああそんなきつい蹴り使うんじゃないいやいやあれかわすのかってだからそんな近付くないい気になるなよくうっ今すぐ殴りこんでやりたいけどいや待てそれは迷惑かかるし第一私のことが」 「…………なんとも、まあ……奇遇ね、烏丸さん」 思わぬところで思わぬ見知った顔。 烏丸悠がそこにいた。 「ん? 何だよ一体……って……」 面倒そうに振り向いた悠は、翔子であることに気付くと表情を凍りつかせた。 「……委員長……」 「本当に奇遇ね。でもまあ、考えられない話じゃなかったか」 悠ならばバトルフィールドに出入していてもおかしくないと翔子は結論付け、尋ねる。 「ところで、出てるの?」 「……で、出てるわけないだろう。私は悪友に引き摺られて来ただけだ」 「ふぅん?」 声の調子といい泳ぐ目といい、明らかな嘘の匂い。 烏丸悠という少女は人を騙すことに向かない気がしてならない翔子だった。 追求はしない。出場しているかどうかなど、後で冊子かトーナメント表を見れば判ることだ。 「とにかく、どっちの応援してるの?」 「……別にどちらでもない」 「じゃあ、あたしと同じクラスの誼で雄介の方ってことでお願い」 こうやってこちらから押し付けたことにすればそれに乗ってくるだろうと思い、翔子は即座に言う。 「なんでそうなるんだ…………別に構わないが……」 案の定、嫌そうな顔を見せながらも悠はあっさりと受け入れた。 とりあえず逃げられずに済みそうだ、と翔子は胸を撫で下ろす。 あとは試合が終わった後にどうやって引きとめるかだ。 勘違いされることも多いのだが、翔子はなにも遥を雄介にくっ付けようとしているわけではない。 あの謎体質のおかげで別方向に理解されてしまいそうな遥に機会を作っているだけだ。 決めるのはあくまでも雄介だと思っている。 さすがに親友なので心情的にどうしても遥の肩は持ってしまうのだが。 「んじゃ、応援しますか。雄介がやる気出すように」 ぽん、と翔子は悠の肩を叩いた。 右の裏拳からさらに半回転するようにして左の拳打。 それを右手でふわりと左側に受け流し、雄介はそのままその場を飛び退いた。 真琴の回し蹴りが空を切る。 「むう……」 真琴は不機嫌そうに唸った。 「どうして反撃してこないんだよ?」 「……ちょっと先に確かめておきたいことがあってね。答えてくれたらこっちからも仕掛けるよ」 ようやく向こうから話しかけてくれたことに胸を撫で下ろしつつ、雄介は答えた。 なにせ、今まではこちらから話しかけても『拳で語ればいいじゃないか』とまったく取り合ってくれなかったので困っていたのである。 「分かったよ……もう、何なんだよ?」 2mほどの距離をおいて向かい合い、真琴は構えを解かぬままで不承不承頷く。 ここで嫌だと言ってまた逃げ回られたら堪らない。 雄介は真顔で問うた。 「御堂さんと賭けか何かしてるのかな、この試合で?」 「ん? うん、ボクが勝ったら紗矢香は裸踊り」 あっけらかんと答える真琴。 それは絶対に勝ってくれと言われるわけだと納得するとともに、雄介はさらに訊く。 大事なのはこの先だ。 「それで、僕が勝ったら?」 「ボクが負けたら?」 真琴は答えようとして、あれ? という顔になる。 「……あ、賭けるの忘れてた」 真琴は、別に企んでいたわけではない。 本当に忘れていただけなのである。 「でも、それじゃ不公平だよね。ボクが負けたらボクが……」 「ちょっと待って」 自分も裸踊りをするとでも言い出しかねない真琴を雄介は遮った。 そんなことを言い出されてしまっては元も子もない。今まで気になっていたのは、負けた真琴がどうなるかだったのだから。 何もないのなら、それに越したことはないのだ。 とは言っても、この分では何もないでは納得しないだろう。 だから、条件を出す。 「僕が勝ったら、もうこういう変な賭けはしない……っていうのはどうかな?」 半ばすり替えだが、これでも一応賭けとして成立しないわけではない。 「ぇええ~……」 「嫌じゃないことを賭けても、あんまり意味がないと思うよ」 真琴は明らかに嫌そうな顔を見せたが、雄介はむしろそれを利用して畳み掛ける。 すると、真琴は少し言葉に詰まった後でため息とともに頷いた。 「仕方ないかぁ……ま、勝てばいいんだよね」 が、すぐに気を取り直して強いまなざしも取り戻す。 「それより、これでちゃんと戦ってくれるんだろうね?」 「安心したからね」 雄介はにこりと笑って、ここで初めて構えた。 右脚を引いて腰を落とし、掌を開いて胸の前に置く。 行動として表したのを見て、真琴がにやりと笑った。 「じゃ、行くよ!」 最初と同じ、踏み込みざまの拳。 しかし雄介の対応は異なる。真琴の拳打の外側に身体を移動させ、ごく動きの小さい掌打を真琴の脇腹に叩き込む。 己の肩と腕によって死角とされた位置で放たれたそれを、真琴がかわすことはできなかった。 だが、顔を顰めながらもその場を跳び退く。 「まだまだ、この程度じゃ……」 「この程度じゃないよ」 雄介は、逃れることを許さなかった。 が、真琴もただその場から離れようとしたわけではない。元々退くのは好みではないのだ、すぐにでも距離を詰めるつもりだった。 不完全な体勢からの無理矢理の体当たりは、結果的に雄介の意表を突いた。 真琴は博司から技を得ている。博司の使う技には体当たりやそれに類するものも多く含まれており、女性にしてはかなり体格のいい真琴も得意としている。 だから、不完全でも相当なものだった。 3mは吹き飛んだ。 しかしそれは半ば、咄嗟に切り替えて己で跳んだ雄介の所業でもある。 地面に落ちるときに一度転がり、そのまま反動をつけて立ち上がる。 ダメージはない。 今度は真琴が詰める番だった。 「ははっ、ほんとに強いや!」 嬉しそうに笑い、直前で足元に滑り込む。 それに対し、雄介は右手を突き下ろした。掌底と地面とで足首を挟撃、止めきれない勢いは己の足で止め、それから横に跳ぶ。 そして、真琴が立ち上がったときには仕掛けていた。 真琴が反射的に繰り出した右拳を身を沈めて避けながら右手で取りつつ左肘を腹部に一閃、そのまま己の背を向けるようにして回りこんで背中合わせとなり、肩を支点として跳ね上げた。 真琴の身体が宙を舞う。 あとは右手首を掴んだままで捻りつつ右腋に手を添えて地面に叩きつければ、受身を取れなければ頚椎損傷、とれても右腕を持って行くことの出来るという技の出来上がりだ。 だが、雄介はそこであえて腋には手を添えないままで、捻りによって真琴の身体を反転させ、背中から叩き付けた。 背面全体に広がった衝撃に、真琴は息を詰まらせる。 重い痺れが全身に走った。 「……何だ、あれは……?」 次の試合ということで、入場口から見ていた博司は思わず呟いた。 実際に起こったことは、ただ雄介が投げただけだ。 が、他にも何かあったはずのことを行わなかったのだろうとは推測できる。ただ背中から落とすためにわざわざ背中合わせには投げないだろう。 もっとも、<武具>遣いや霊具使いの中にも判った者は何人いるか。 討滅の家というのは、武器を用いた戦闘技術を主とする。徒手の技も研鑽されても、あくまでも補助手段だ。 投げは特にその傾向が強い。<武具>を遣うまでもない人間を無力化するための投げは必要でも、<武具>を遣わずに相手を葬り去るような投げは要らない。 体得して損をするわけではないが、己の得物を用いた技を研鑽する方が先となる。 だから、特異な投げを持つ家となると、徒手系統の<武具>と多く契約することになる家だ。 祖父江家とその分家に多いのが長物であるように、葉渡家は刀と弓、絶対とは言えないまでも存在しているはずもない。 そんな技があるとすれば。 「……三峰家か……」 「ちょっと遥、遥!」 翔子も、思わず最前列の遥のところまで行っていた。 小声で揺さぶる。 「あれ、もしかして……」 「……途中で変えたけど、多分うちの無刀術の<刀狩>なのさ」 遥は困ったような顔とともに、こちらも小声で返す。 「……覚えがあるぞ。あれの実行版で一遍死に掛けたな、私。いつ教えた?」 宗一郎はひょいと現れた朱鷺子に尋ねる。 朱鷺子は鋭くまなざしを細めた。 「相手の得物を奪う技はないかと言うのでな、夏休みに」 「……なるほど」 相手を葬り去る、最低でも腕を破壊することによって得物を確実にもぎ取るというわけだ。背中合わせなので小刀での咄嗟の反撃などというものも受けにくいのだろう。 だが、あれは得物を奪い取ってそのあと別の相手と戦うための技だ。 「……雄介は、得物を奪って相手を降伏させるやつが欲しかったんちゃうかと思うんやけど」 「ああ、後で聞いた。が、あれも使いこなせれば使いようはある。使うならば、まだ身体の捌きが遅くていくつも抜けようがあるのが問題だ。中途は危険だから完全にものにするか捨てるかどちらかにしろと伝えておいてくれ」 「……はいよ」 身体に力が入らない。 まったく入らないわけではなく、仰向けからうつ伏せになることくらいはできたが。 だが、そこから立ち上がることは不可能だった。 「……こりゃ……参ったなあ……」 「できれば、負けを認めてもらえないかな?」 雄介の声が聞こえる。 その言葉は本心からのものなのだろうと分かる。 バトルフィールドではダウンした相手に攻撃を加えてはならないなどというルールはない。 「……悔しいなあ……」 まさに一瞬のことだった。 いざこれからと思った矢先の問答無用の技。 なんだか不完全燃焼だ。 だが、立てぬとなればどうしようもない。 相手が仕掛けてこないのをいいことに寝たまま体力回復など真っ平ごめんだ。 「分かったよ。ギブアップギブアップ」 『志野杜真琴、ギブアップ! 葉渡雄介の勝利です!』 即座に雄介の勝利が宣言される。 真琴はもう一度仰向けに戻った。 起きられないのなら、こちらの方が楽だ。 「大丈夫?」 雄介がしゃがんで覗き込んでくる。 真琴は笑った。 「まあ、大丈夫。これで絶対に紗矢香と当たれなくなっちゃったのは残念だけど」 「……御堂さんがライバルなのかな?」 「うん、ライバルさ」 「そうなんだ」 雄介が、ふ、と微笑んだ。 「ライバルはいいよね。大事にしなきゃ」 そこに何か秘められた感情のようなものを感じ、真琴は雄介を見上げる。 が、雄介はただ穏やかに笑っているだけだった。 「ライバルなら、懸けるのはプライドだけで大丈夫だよ。それ以外のものは何も要らない」 「む……」 約束のことだと思い当たる。 不思議と反論しようという気にはなれなかった。 確かに、紗矢香とやりあっているときが一番充実している。 勝てば嬉しい負ければ悔しい、というのは誰とでもではあるが、紗矢香のときは質が違う気がする。 「……そだね。うん、そうだよ」 にっこりと、笑えた。 ジャンル別一覧
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